虹のように錆びたナイフ

Oct 12 2008

貨幣に関係性を埋め込むことについては善し悪しがありますね。

かつて、社会学者のジンメルが「貨幣の哲学」で「貨幣は近代精神の最も完全な表現」としたのは、近代が不要とした”つながり”を、貨幣がものの見事に断ち切ったからです。「お金で買えないものなんてあるの?」と言ってのける堀江くんの台詞は現代のお金の特質のことを指しているだけで、彼独自の思想ではありません。

現在「お金はあらゆる価値の表現手段」としてもっとも世界に広まっていることは確かで、お金から完全に断ち切れた別の表現手段が乏しいのが現状です。その点では、PICSYや地域通貨のように現代の貨幣とオルタナティブな通貨価値が広まることに個人的には期待がありますが、PICSYや地域通貨がお金のようになれるかというとかなり悲観的です。

PICSYが広がる可能性が低い理由としては、PICSYのように「関係性を含んだ消費」は「関係性を含まない消費」があることで意味を為す、という考え方がまずあります。地域通貨が補完通貨と呼ばれているのは、元々広がりの限界が見えているためでしょう。PICSYも投資貨幣と限定するならまだ理解は違うかも知れません。

そもそも上記の漫画も一面的過ぎです。もし病気を治した後に、交通事故で死んだら治療内容とは関係なく、治療への対価が下がってしまいます。その上、看護婦さんまでとばっちりくらいます。また、悪徳医師が、悪徳経済家に良い治療をしたとすると、悪徳経済が発展する訳で(笑) 悪い価値観の伝播の方がより促進されそうな気もします。(悪貨は良貨を駆逐しますから)

ま、そもそも人間の消費活動をすべて有意な関係性を含んだものにすることが、個々の人間の幸せに結びつくのかという根本的な問題もあります。そもそも投資って、相互の意志が共通していない場合もありますし、世の中「同情するぐらいなら金よこせ!」って事情も多いですから、支払われる側も支払いの意図を明示されたくないケースも多々あるかと思います。

あと、もうひとつには、関係性の補足範囲が無限に広がっても人間の活動がそこに追いつかないだということです。自分のお金が影響を与える範囲が無制限に広がっても、そこに責任を果たせないなら関係性とは言えません。また、日々の消費がコンビニで完結する人が多い日本では、無意志のお金の量がそもそも多く、PICSYの思想を体現するどころか、貨幣が価値を伝播させることの不可能性を証明することになるやも知れません。

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