終わってみると、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」は、真希波・マリ・イラストリアスというキャラクターが狂言回しになっていたことに気づかされる。彼女というフレームを通して、観客は――ぼくは、「エヴァンゲリオン」ではない、「ヱヴァンゲリヲン」という、新しい物語と出会うことになったのだ。
つまり「ヱヴァンゲリヲン」とは「エヴァンゲリオン」という物語を、真希波・マリ・イラストリアスというキャラクターの目を通して再構築した、語り直された口承文学だ。
例えば、工程が1ヶ月遅れて来ました。プログラマーがなんとか当初の予定の2ヶ月を1ヶ月半の期間で終わらせました。
残念ながら次から要求されるのは、1ヶ月半であって、決して2ヶ月には戻らない。
良心を使うと、こうして自分の首を絞める事になる。
緒方:とっても嬉しい言葉を、ふたついただきました。ひとつは「キャラクターの気持ちを、13年間ずっと変わらずに維持してくれて、ありがとう」。
一同:おお~っ!
緒方:もうひとつは「そのうえに13年分の君の経験を、いまのシンジに足してくれて、ありがとう」。
緒方:とっても嬉しい言葉を、ふたついただきました。ひとつは「キャラクターの気持ちを、13年間ずっと変わらずに維持してくれて、ありがとう」。
一同:おお~っ!
緒方:もうひとつは「そのうえに13年分の君の経験を、いまのシンジに足してくれて、ありがとう」。
駆け出しの作家が書くべき1作目というのは、だから「ありきたりな物語」である必要がある。
最初から奇をてらった、共通骨格から外れた物語を書いたところで、 「名」を持たない者がそれをやっても、読者はついてこない。
「ありきたり」を重ねて、共感を積み重ねて、読者の興味が、物語それ自体から、 それを書いた人にうつったとき、作家は初めて「名前」を得ることができる。
「悪いことをしていたら叩かれていいと思うんだけど、この2件は、別に悪いことをしたわけではない」――ひろゆき氏は、楽天や三木谷氏がネット上で叩かれがちなことを「不思議」と話し、「なんで楽天は“目の敵”にされやすいのか」と問いかける。
夏野氏が「それは、リア充だからでしょ」と応じる


